ひうら整形外科クリニック | 整形外科・リハビリテーション科・リウマチ科

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院長のマラソンコラム

村岡ダブルフルウルトラマラソン

 遅くなりましたが、先日9/27日に行われた、村岡マラソンの報告です。

 26日(土)の診療が終わり次第すぐに病院を出発し、27日(日)の大会では何とか完走し28日(月)の朝何とか無事にひうら整形外科にクリニックに帰って来れました。結果は散々なもので、100kmウルトラマラソンの記録としては自己最低の10時間2分、順位は25位でした。

 まあ開業して2か月弱、この夏はウルトラマラソンの練習としていた遠出ランも殆どしてない上に、やはり聞きしに勝るタフなコースでこの結果は仕方ないなと自分でも納得してます。今回は一人での参加で、写真もゴール後に会場を撮影したのしかありませんので、自分で思い出しながら少し書き連ねてみます。

 

 まずは、なんで今回村岡に出たかの理由ですが、今年の春先は開業準備もあるため梶山事務長をはじめ周囲から強力な反対もあり、いつも出てた萩往還や阿蘇、隠岐の島、サロマ湖はことごとくパスして(隠岐の島は招待されていたのに残念)たので、せめて今年は1回だけでもウルトラマラソンに出たいと思っていました。確か4月ごろ締切ぎりぎりで、まあ開業して2か月も経てば大丈夫かなと思い、秋の大会の候補としては丹後や四万十の100kmがありましたが、割と近場と考え良く検討せずに村岡に申し込んでみたのが実情です。兵庫県の山奥で通称残酷マラソンと言われている高低差の激しいタフなコースとはつゆ知らず申し込んで、レースが近づくにつれ段々後悔の念が強くなってきてました。まずは土曜の診療終わりから出発して村岡にたどり着けるのかと、走り終わって月曜の朝までに帰って来れるかの行程が今回一番の心配でした。

 土曜は12時頃には新患受け付けを終えてもらい何とか14時前に病院を出て、14時40分ごろの新山口の新幹線に乗って新大阪に16時過ぎに到着しました。村岡は兵庫県の北、香美町という山奥の町で近場には但馬牛の産地やハチ北高原というスキー場で有名な場所がある風光明媚な所で、姫路から電車か高速バスか大阪から高速バスで行くところでしたが、バスや電車の時間から確実に宿にたどり着ける時間は新大阪17時発の高速バスしか無かったためこの行程になってしまいました。ハチ北口までバスで向かいそこから宿に迎えに来てもらい、ハチ北高原の宿(松屋さん)に到着できたのは夜の21時前でした。

 もちろん大会の受付は終わってて翌日の走る前にするしかなく、到着すると直ぐに晩御飯を食べるように言われ、晩御飯は但馬牛のすき焼きでしたが、他のマラソン宿泊客はそろそろ寝る準備をしている横でせっかくの但馬牛をダッシュで掻き込んで、風呂にも浸からず早々に床に就きました。宿は4人の相部屋で軽く挨拶するだけでしたが、皆は受け付け済ませてゼッケンを着けたりシューズにチップを着けてるのを横目で見ながら明日は大丈夫かいな~と不安でいっぱいでした。部屋が宿の食堂の横で遅くまで宿の人が翌朝の食事の準備をしておられて、中々寝付けず結局は3~4時間しか寝てないと思います。3時に起きて食事後4時ごろ会場に到着し急いで受け付けして何とかスタートに立つことができました。

 ここまでは真っ暗な中での準備で何時もの100kmの大会みたいなものですが、寝不足とあわただしさでとてもまともには走れないだろなーと半分諦めてスタートしました。

 さてコースですがネットのコース案内では良くは判らなかったですが、はっきりしてたのは50km付近に一番最頂地点があり、登りの総高低差が2550mあるという事でした。スタートから午前中までは臼曇りで、特に夜明け直後のハチ北に上っていく途中は絶好のコンディションでスタートから15km付近までの登りはまあまあ元気で走って登っていき、まずまずかなと思っていましたが、40km過ぎからの急勾配の上りは10km近くも続いていて殆ど歩きの状態でした。ようやく50km過ぎに頂上に着いてから順調に下っていきましたがこのくだりも結構な下りでこれでかなり膝や大腿の筋肉にダメージを負ってしまったようで、後半の2つの上り下りはまともに走れませんでした。この大会の特徴として88km、66km、44km、と様々な距離のカテゴリーがあって(ふつうは100kmともう半分位のカテゴリーだけですが)最後のゴールが皆同じ頃になるようにスタートしており、後半になるにつれ色々なカテゴリーの人が同じコースを走っていくため、かなりそれで励まされて歩いたり走ったりで何とかゴールできたました。またコースも山に登ってはおりて景色も色々楽しめて、麓の集落では地元の人や大会の手伝いをされてる消防団の人達の熱い応援もあって結構頑張って走る事ができました。

 またエイドも結構色んな種類があって、またその場所も登りが始まる所や丁度山や峠の上りきった所などポイントポイントのいい場所に置いてあり、とてもありがたかったです。

 15時にゴールして結局姫路に向かうバスは最後の19時40分発なので、ゴール後は村岡温泉につかり会場や周囲の村岡の商店街(?)と言われてる所も散策しましたが、残念ながら土産物屋さんもなく、会場の中で売ってた大福餅をみんなの人数分買ってお土産にしました。自分は大体どの大会でも走り終わると早々に宿に帰るか帰路に就くのですが、今回最後のゴール制限時間の19時まで会場にいたのですが、最後はカウントダウンして花火も打ち上げて結構盛り上がってました。また最後のサプライズで終了後にゴール横で公開プロポーズをしてるカップルを放送してましたが、何年か前にも台湾での24時間走で僕らが最後残りの1時間を走ってる時にコースの横でプロポーズをしてたカップルの事を思い出して、ウルトラマラソンを走った後は余程気分が盛り上がって、恥ずかしげもなく人前でこんな事ができるのだろうなと感心しました。

 姫路には22時過ぎに着いたのですが、一本無理すれば新山口までたどり着けましたが、まあ広島にホテルをとってたので一泊し、翌朝足をひきずりながら何とか病院に帰り着きました。

 村岡のこの大会は自分の感じとして全体としては18回もされててよーく練れて準備された大会で、今回の行程からスタートするまでは余裕はそれほど無いけど何とか帰って来れる事が分かり、情けない結果からしてもう一度チャレンジする価値はあると確信しました。秋はこの村岡と去年出た丹後と10月の四万十とどれも特徴があって行きたい大会ですが、来年はまたゆっくり検討して決めようと思います。

 大会Hpに写真がアップされてましたが僕の映ってるのは見当たらず、All Sportsの写真を頼もうか迷ってますが、いまい一つかっこ良く写ってないので今回は文章だけで写真はパスします。

 今年の秋はあとはフルの11月1日の下関海響と12月の防府読売です。まだ少し筋肉痛が残ってますがやはりそれなりに練習して走っとかないと結果が出せないのでとりあえずはフルの練習をぼちぼち頑張って始めてます。また年明けはとりあえずFMキララの常盤公園の駅伝にひうら整形外科クリニックで出場して、病院の宣伝を少しでもしときたいところで、こちらの為の人集めも始めないとと考えてます。来年の予定大会はは東京マラソン、北九州マラソンとも抽選に外れてしまい、その次は地元の寂しい楠カントリーのフル位しか予定が無くていまひとつモチベーションが上がりません。やはり開業しても病院をきちんと休まずに、走力をつけて出場できる大会を選んで結果を出すのはなかなか難しいもんですね。

 ではまた、マラソンブログも出来るだけ休まず更新していきますのでお楽しみに。

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